仏青寮の特徴

 仏青寮の特徴

「仏青寮ってどんなところ?」と聞かれたら何と答える?

とある仏青寮OBがこう言いました。

「みんなで家族生活を送っているような場所」

朝は「いってきます」、「いってらっしゃい」が呼応し、夕方は「ただいまー」と大学やバイトから帰ってきた寮生に、寮母さんや、先に帰ってきた寮生が「おかえり」と声をかけます。

そんな温かい寮です。

また、「自治寮」ですので、寮生にはそれぞれの役割を担いますが、総じて言えるのは「自分たち」で寮を盛り上げていき、寮生みんなが住みやすい寮にしていく精神が根付いている寮です。

寮内外での活動

寮生は、地域の子どもの学習支援などの社会福祉活動(ボランティア)や共用部の清掃や勤行(共に週1回、朝)、寮生会議(月1回)の参加をお願いしています。様々な活動を通じて、大学の座学にはない経験や学びを得られます。

 

そもそも仏青とは~仏青の歴史~

(創立100周年記念誌、九大仏青ブログより一部引用・参照)

少し堅苦しいですが、仏青寮の九大と共に歩んだ歴史をご紹介しますね。私(HP編集者)も入寮時何も知りませんでしたが、こんなに長い歴史があったんですね。

~九大仏青のはじまり~
九州大学仏教青年会(現在の一般社団法人九州大学仏教青年会)は明治40年(1907年)5月19日(旧暦4月8日=釈尊の降誕日)、に創立されました。

[show_more more=さらに読む less=閉じる]

主として医科大学内の学生、看護婦、教職員、そして患者の間に、仏教精神に基づき、宗派に偏らず、仏教の妙理を会得し心の据(すわり)を修養することを目的としていました。

~施療院の開設~
大正7年(1918年)医学部皮膚科教授 旭憲吉博士が会長の時代、博多承天寺内祥勝院に於いて施療院を開設し、低所得者、困窮者の患者さんを幅広く自ら診療に当りました。この活動が現在の「九大仏青クリニック」の開院につながります。

~学生寮の誕生~
「学生寮」が誕生したのは、その後、大正15年(1926年)になってです。
遡ること大正10年(1921年)に社団法人に認可され、本会事業も漸く軌道に乗るに従い、その活動の源泉ともなるべき会館及び寮の必要性が痛感されてきました。旭会長を初め会員一同前後五年にわたる努力と大方の支援とにより、大正15年(1926年)3月福岡市今泉町(現渡辺通四丁目)に会館及び学生寮が建設され、ついで卒業生の独身寮も附設されました。会の一切の事業はここで行われ、ここが会員の中心道場となりました。

同年には附属中央日曜学校が開かれ、児童の情操教育に力が尽くされました。昭和2年(1927年)には法律扶助部(Legal Aid)を開設し、人間の正当な権利の保護と義務の自覚とを促す活動がはじまりました。法律扶助部の開設によって、本会の実行機関はほぼ完備されました。そしてそれぞれの部が、緊密な提携の下に活動し、仏教青年会としての総合的機能を発揮していきました。

このように、着々発展してきた本会の活動は、その時代の社会的情勢その他の事情により、時に盛衰はありましたが、本会の事業とその精神は変わることなく受け継がれ、戦中戦後の混乱にもめげず、一早く立ち直りました。

~名島地区(現福岡市東区千早)への移転~
昭和33年(1958年)、福岡の戦災復興土地区画整理に当り、本会は渡辺通りの土地建物の三分の一を削られることになりました。
当時、会員の間からは、渡辺通の土地を売却し、その代金で新たに適当な地へと移転改築しようとの議論が起こりました。幸いに昭和43年(1968年)9月、土地の売却も出来、市内名島の九州電力旧グラウンドの一角に約870坪の土地を譲り受け、九大建築学の青木博士の指導の下に会館及び寮(学生24名、卒業生6名を収容し得る)と合わせて約400坪の鉄筋コンクリートの建築竣成でき、昭和44年に移転しました。

急激に人口の増加しつつある名島以東の地に従来仏教関係の建造物が皆無の状態にあったのに鑑み、本会館及び寮を一拠点として、地域市民の皆様に親しまれつつ、仏教精神の自覚と普及浸透を図るために特段の活動を展開していくことにいたりました。

九大仏青クリニックの開院~
その後、社会状況は急速に変化を遂げ、本会の行う奉仕活動がともすれば時代の要求と合致しなくなりつつありました。年々学生数は減少を続け、本会の存亡も一時期は危ぶまれることになります。

そんな中、本会の将来の展望、時代に即した活動を模索する動きが興りました。
総会の決議にて、本会は、診療所「九大仏青クリニック」を出発させることとなり、初代院長に本会OBでもある山中正義氏(医学博士、昭和37年卒)を迎え、昭和61年(1986年)12月に開院の運びとなりました。

この「九大仏青クリニック」は、従来の仏青の診療所の伝統をそのまま受け継ぎ、医療の理想と仏教の精神を求めて歩んでゆかんとするものでした。つまり、本クリニックは、最新の医療設備を備えた診療所であると同時に、他の諸病院のモデルとなり得る様な、地域社会に開かれ奉仕の精神に貫かれた病院経営の展開をその目標としています。

また、本クリニックの収益を、会の種々の奉仕活動の資金に充て、時代と社会の新たな要求に対応した活動、本会ならではのユニークなボランティア活動(=主体の本意から自発的におこる奉仕活動)の育成を計ることが本クリニック開設の狙いです。おかげで仏青寮の寮費などもとても良心的な額に設定できるのです。
[/show_more]